増毛山道行Part4(浜益御殿-大坂山)

増毛山道は二つの山越えがある。すなわち雄冬岳(1198m)に登り留知暑寒川と千代志別川に挟まれた広く平坦な尾根を進み 浜益御殿(1039m)を経て幌まで下る山越えである。
私たち登山者からすれば積雪期には登りらしい登りのないこの二つの山は容易に登れてしまう山であるが、増毛山道が使われていた 時代の貧しい装備などを考えると雄冬岳、浜益御殿の二つの山越えは危険を伴い覚悟を必要とされた道中だったろうと想像できる。
それは武好橋から少し先の岩尾に下る山道(後に新増毛山道と呼ばれる)は昭和に入っても使われる事はあったが、雄冬岳-浜益御殿を越える山道 (旧増毛山道)は山道開削後の早い時期に使われなくなった事実からもわかる。
このPart4では二つの山越えの一つ浜益御殿と大阪山間の記録である。
当初はこの区間は別苅側と違い廃道期間が長く、また尾根が広い事と、伐採、植林による破壊などのために山道跡はそれほど残ってはいないだろうと 思っていたが、都合6回の調査でかなりの部分が残っている事が解った。
そのために山道跡を解りやすく説明するために地形図上のどの地点に山道跡が残っているかを示している。
なお、浜益御殿の山頂近くには北海道では一番高所にある明治40年に埋標された一等水準点と点名が牛石(べこいし)の三等三角点及び牛石 と呼ばれる岩塊がある。これらは三角点マニアの中ではとても有名な石標であるが登山者にはすぐ横を歩いたいながら気にもされない不遇の石標でもある。
Part4では簡単にだけふれているだけなので、詳しくは「増毛山道番外編/浜益御殿の牛石を探して」の1と2を参考にしてほしい。

幌から浜益御殿のルートはアプローチの容易さと短時間でピークに到達できる気軽さ、ルートの平坦さから昨今の登山ブームと重なって積雪期の人気コース の一つであり、それに伴って年々、デポ旗の残置が増えてきている。
しかし、このルートは悪天候下でホワイトアウトになったとしてもデポ旗は必要ない地形である。
また今年(2005年)に入って頂上名を記した標識を誰かが設置している。
これらは全て登山者が残したゴミである。登った時と同じ状態で下山するのが登山の大原則ではないかとデポ旗や標識を残した人間に強く問いたい。
ゴミを残す事に躊躇いのない登山者はスノーモービルの事をとやかく言う前に、己の行為を考えるべきである。
ゴミの残置に心当たりがある人間はすぐに回収に行くべきである。これ以上、山をゴミで汚すことを止めていただきたいと切に願う。


地形図を見やすいサイズで掲載してまうと読み込みに時間がかかるために縮小している。
その為に細かな標高等が解りづらいと思うので各地点の標高をお知らせする。
なお、地形図は1/25000を使用しているので実サイズの地形図と併用してもらえると解りやすいと思う。
画像の赤い線は多少の誤差がある可能性はあるが、ほぼ増毛山道跡を忠実にトレースしている。



A区間........conta570mからconta690m

B区間........conta710mからconta900m

C区間........conta900mからconta930m

D区間........conta970mから浜益御殿ピーク







大坂山-A区間(conta570mからconta690m )

大坂山から暫くは伐採、植林の破壊のために山道跡を探す事は難しい。
山道跡が顕著になるのはconta570mからになる。
幌から浜益御殿へのルートは春には登山者に人気のあるルートだがconta570m付近から見る事ができる山道跡は、それほど顕著ではなく山道跡を探す事を意識していないと通り過ぎてしまう程度である。

1/25000の地形図で615の標高が振ってある小ピークを左に見る付近は一度、山道の痕跡は無くなるが登りに入ると見事な山道跡を見る事ができる。
615mの標高点までの山道跡は雪が多いと判別するのが難しいのだが、この登りの途中にある山道跡は雪が多くてもはっきりと確認する事ができる。
登山をされていて200mほどの長さに渡って直線的に灌木が並んでいる植生を不思議に思った方もいると思うが、まさにこれが山道が通っていた跡になる。
この山道跡は南側から来る尾根が合流する少し手前で判然としなくなり、再び山道跡が顕著になるのはB地点のconta710m付近からになる。











上の画像は
conta570mから615の標高点横手前付近の山道跡
右の画像は615の標高点を少し登った所から始まる見事な山道跡

 


B区間(conta710mからconta900m )

conta710mからcaonta900mのB区間は林道からも良く見える場所である。
B区間の始まりは西側(海側)に直角に折れ曲がっている特徴的なダケカンバがある付近からになる。
左の画像の緑の線が山道跡になる。
直線的に並んだダケカンバからGW頃にはハイマツと笹が露出する尾根の真ん中を通っている。
山道の痕跡は帯の様に一定の幅で灌木が生えていない場所と思いがちだが、実際は道跡にダケカンバ等が入り込んだ結果、直線的に灌木が並んでいる事が多い。
大坂山から浜益御殿までの間であきらかに切り開かれた道跡が残っているのは浜益御殿のピーク手前から浜益岳のコルに降りるほんの数mだけである。








右の画像は上の画像の位置より少し上で撮影したものであるが、不自然なまでに直線的にダケカンバが並んでいるのが良くわかる。
なお、登山の場合は右側の開けた斜面を登って行く。





C区間(conta900mからconta930m)

B区間を登り切ると山道は尾根西側の平坦な地形を等高線沿いに進む。
この部分は登りきったconta900m付近に少しだけダケカンバが並んでいる。
登山の場合、唯一つの登りらしい登りであるB区間を終え、浜益御殿のピークまでのんびりと歩ける所である。
昔の山道を歩いた人間も同じ様に一息つけたことだろう。

大正八年測量の増毛山道が載っている地形図には尾根西側に道が記載されている。
conta930mの浜益御殿とのコルの手前の尾根上の小ピークに山道跡の様に切り開かれた様に見える部分があるが、山道が途中から尾根上を進むのか、等高線沿いにコルまで進むのかは解らない。(この切り開かれた部分は下のD区間の左の画像を参照してほしい)

*切り開かれた部分に関する追記
地形図すらない江戸時代に開削された増毛山道を通して歩いてみると、この道を作った人間の絶妙なルート取りとセンスの良さに 驚くばかりである。そんなセンスを持った人間がこの僅か10数メートルの部分だけ尾根上に道を作るとはどうしても考えられないのは事実で、恐らく、 この切り開かれた様に思える部分は単なる植生によるもので、山道は尾根西側をコルに向かって通っているのではないかと 思います。



D区間(conta970mから浜益御殿ピーク)

conta970mのコル付近から浜益御殿までの山道跡は左の画像の緑の線の部分になる。(画像手前に切り開かれたと思える部分があるが、これは山道跡なのか自然にできたものなのかは解らないために、あくまで大正時代に測図された地形図通りに緑の線を入れている)
浜益御殿のピークに出る直前の山道跡のブッシュ帯には北海道では一番高所に現存する明治40年に埋標された一等水準点と牛石と呼ばれる岩塊がある。
一等水準点の「点の記」を読んでもらうと解るが、この牛石と呼ばれる岩塊の上を山道が通っている。
位置などの詳細は「浜益御殿の牛石を探して」を参照して欲しい。
登山者の皆さんはこの有名な一等水準点の1m程横を歩いていながら、気にもと留めていないと思うが、浜益御殿に登りに来た時には是非、見てほしい。
「牛石」と点名がついた三等三角点もこの付近にあるのだが、今年(2005)に入って三度、探しに来ているが未だに見つかっていない。

増毛山道は浜益御殿の最高点は通らずに最高点の少し手前から浜益岳のコルに向かう。このコルに下りきる直前に大坂山-浜益御殿間では唯一つ、灌木帯を切り開いた跡が残っている。





右は浜益御殿の最高点の少し手前から浜益岳とのコル方向を撮影した画像である。
緑の線が山道跡になる。
なお、かっての刈り払われた跡は解りやすくするために線を入れていない。

こう見ると気象条件の厳しい場所では一度、刈り払われてしまうと100年、200年と経っても植生が回復ない事が解る。

2004/5/17から2005/5/28に調査、踏破


増毛山道行Part1(別苅-御内)のページへ
増毛山道行Part2 (御内-武好旧駅逓跡)のページへ
*増毛山道行Part3予定の武好旧駅逓-雄冬岳-浜益御殿はお待ち下さい。

タイトルに使用している地形図/内務省地理調査所発行 1/50000「雄冬」
本文中に使用している地形図/国土地理院発行 1/25000「雄冬」


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