
その昔、別苅と幌を結ぶ27kmの増毛山道と呼ばれる道があった。
20数年前のGWに増毛山塊の縦走をするために暑寒別川から天狗岳と雄冬山のコル付近に上った時に雪面から電柱が出ている
光景に驚いた記憶がある。後になって別苅から雄冬山を越えて幌まで道があったことを知り、この電柱は別苅-武好-岩尾まで
敷設され岩尾山道と呼ばれ、増毛山道の武好から幌までが使われなくなり廃道状態になったあとも昭和時代に入ってから暫くは使われていた事も知った。
機会があるのならこの山道を歩き、写真に収めたいと思いながら20年以上も経ってしまった。
電柱などが残っているのかは解らないが、今年から少しずつトレースして行くことに決め、このpart1は前半部の別苅-御内の記録である。
山道入り口は国道から50mほど入ったところにあるが、道が細く車を止めるスペースがない。
うろうろしていたところ、近くの方が出てきたので増毛山道から天狗岳に行きたい旨を話すと、快く空きスペース
に駐車をする許可を下さり助かった。
200年以上も前の昔の道を歩こうとする見知らぬ登山者のことを気遣ってくれて頭が下がる、別苅の浜の方は優しい。
山道入り口には庚申塚がある。裏には明治三十二年、十一月十六日世話方とその方の
名前と思われる彫りこみがある。
雪がないためにザックにスキーを固定し藪漕ぎをするが山道が使われなくなった後も作業道、竹の子取りの道として使われているせいか はっきりと道跡を認めることができる。
conta151からconta220間は判然としない部分もあるが、道自体は稜線上に忠実につけられたいたので迷う心配は全くない。
途中、林道もからみながらconta309mまでは昔の山道と言うよりは最近、作られた道を歩くことになる。
この山道沿いにスキーツアー(登山用?)のためか暑寒別岳の山の神ルートにあるのと同じ番号プレートが木に打ち付けてある。
*この庚申塚は画像では小さく思えるが、実際は高さが60cmくらいはある大きく立派な塚である。
conta350m付近で突然のエンジン音。
モービルかなと思ったが、伐採をしているチェーンソーの音であった。
・作業の方「どこにいくのさ」
・私「天狗岳まで」
・作業の方「それなら大別苅から行けばいいしょ」
・私「増毛山道を歩きたくって」
・作業の方「(543のピークを指差し)あそこを目印
に行きなさい。あとは電柱があるから」
・私「ありがとうございます」
・作業の方「気をつけて行きなさい」
こんな会話を交わし先に進む。別苅の山の人も優しい。
電柱が現存していることを知り、少しほっとする。
少し尾根が広くなり視界が少しずつ開け左前方には暑寒別岳の山の神、西尾根、中ノ沢岳への三本の尾根がきれいに並んで
見える。右を見れば泣面山、大別苅山が見える。
この付近は大規模に伐採、植林をされている場所が多く、山道跡を見つける事は難しい。
543のピークで短いながらも登りらしい登りになり、短い下りの後に山道は林道と交差する。
なお、伐採の作業をしていた方々は暑寒別川側の林道からスノーモービルで通っているようである。
林道と出合った地点からは植生の生え具合でひと目で山道跡とわかる。
少し登ったconta560m付近で最初の電柱に出合う。倒れるのも時間の問題と思えるほど痛み、傾いている。
しかし、70年以上もこの豪雪地帯の風雪に耐えてきたことには驚くばかりである。
今回の山道行の一番の目的であった電柱を見ることができて、感慨ひとしおである。
この電柱のすぐそばに外周が1.5mほどもあるダケカンバの巨木がある。
この老木は山道を作った人々、歩いた人々などを見守ってきたのだろうか。
御内と呼ばれる631mのピークの手前に補強部分のみを残した二本目の電柱がある。 近づいてみると「廣島、昭6」のプレートが打ち付けてある。
73年も前の電柱だ。
631mのピークは御内と名前が付いているくらいだから山道の休憩地点などであったのかもしれないが、今は幼木が生い茂り
良い景観は望めない。
再び林道と交差する手前の小ピークの方が幼木が少なく大別苅山から暑寒別岳まで見回すことができる。
ここには松の木に寄り添うように生えるダケカンバに92番のプレートが打ち付けてある。
それにしても風が強い。543mのピークまででも十分、強い風であったが、この程度の風は暑寒別のそよ風くらいにしか思っていなかったが
この地点まで来ると時々、耐風姿勢が必要なほどである。
天狗岳もぐっと近づき、昔の旅人は武好まであと一息と思ったのかもしれない。
*上の電柱は「廣島 昭6」のプレートが打ち付けてあったが、電柱の施設自体は明治29年頃である。
倒れたり補修のために年代の新しい電柱に変わっていったのではないかと思う。この山道内には倒れた物も含めどのくらいの電柱が残っているのかは解らないが、ひょっとしたら明治
時代の電柱が残っているのかもしれない。
以上で増毛山道行Part1は終了です。
次回は御内-武好間を予定しています。
2004年4月9日踏破
2004/05/08追記
増毛山道の最初の開削は1796年(寛政8年)で1857年(安政4年)に改修されている。
雄冬から別苅(大別苅)に抜ける道は増毛山道の他に海岸線の断崖を縫ってコタン間を結ぶ道があった。
国道231号線の最初の開通(トンネルが崩壊する前)直後に雄冬海岸一帯の岩場の開拓をしたことがある。その時に岩場を避けるように山腹に道が
あったが、当時は道路の測量用の道程度の認識しかなかったが、コタン間を結ぶ道の跡だったのかもしれない。
増毛山道行Part2(御内-武好旧駅逓跡)のページへ
増毛山道行Part4(浜益御殿-大坂山)のページへ
*増毛山道行Part3予定の武好旧駅逓-雄冬岳-浜益御殿はお待ち下さい。